花のいえ 創業70周年を迎えて【支配人だより】 (2021年04月04日)

 平素は“花のいえ”をご愛顧いただき誠にありがとうございます。

 

 さて、本年5月、公立学校共済組合嵐山保養所“花のいえ”は創業70周年を迎えます。70年もの長きにわたり営業してこられましたのも、組合員の皆様をはじめ、多くのお客様に支えられてきたお陰と深く感謝申し上げます。

 

 そこで創業70周年を記念し、4月24日(土)から、『プレミアム宿泊プラン』と『昼食プランさつき御膳』をご用意いたしました。是非、ご利用賜りますようお願い申し上げます。プランの内容はこちらから。

 

 振り返りますと“花のいえ”は、1951年(昭和26年)5月、江戸時代初期に活躍した京都の豪商「角倉了以」の邸宅跡で営業されていた料亭「花の家」を公立学校共済組合が購入し、教職員の福利厚生のために同組合大阪支部が所管する施設として開所したのが始まりです。

 当時は、まだ戦後間もない混乱の時期で、前年には朝鮮戦争が勃発し、わが国の戦後の一つの区切りとなるサンフランシスコ平和条約が締結されたのが、この年の9月という時代でした。

 

 『公立学校共済組合五十年史』によれば、公立学校共済組合の宿泊施設は、1949年(昭和24年)8月に、初めて和歌山県白浜町に建設されました。「当時は、結核等に罹患した組合員が多かったため、転地療養や治癒後の保養をするための施設が必要となりました。」とあり、“花のいえ”も大阪の教職員の結核療養にも活用する保養所として開設されたものと思われます。

 

 こうして始まった“花のいえ”は、教職員の福利厚生施設であるとともに、「角倉了以」の邸宅跡の歴史を伝える施設として、庭園や建物、様々な文化財を受け継いできました。江戸初期から400年もの歳月を経て現存する「關鳩楼(かんきゅうろう)〔ごてんの間〕」をはじめ、江戸初期の茶人で作庭家でもあった小堀遠州作と伝えられる枯山水の「中庭園」、千利休の釜師辻与次郎作の「雪見灯籠」、狩野派作と言われる花鳥図が描かれた「杉戸絵」など、現在も“花のいえ”でご覧いただけます。詳しくは「花のいえ由縁記」をご覧ください。

 

 残念ながら開所当時の写真は残っておりませんが、昔の資料をもとに作成した見取り図を見ると少しは当時の姿が伺えます。広い庭園に渡り廊下でつながれたいくつかの建物がゆったりと配置され、庭園には舟も置かれていました。まさに京都・嵐山らしい大邸宅の趣きが目に浮かぶようです。

 

【昭和41年 木造建築時代の見取り図=主な建物を付記しました】

 

 

 高度経済成長期の1970年(昭和45年)~1973(昭和48年)にかけて、それまでの木造から鉄筋コンクリート造に順次改築され、その建物が現在も引き継がれています。その後、1987年(昭和62年)と2000年(平成12年)には増改築工事を行い、2017年(平成29年)の改修工事を経て現在の姿になっております。

 

【昭和40年代後半頃 鉄筋コンクリート造に改築された後のリーフレット 表紙】

 

【昭和50年代のリーフレット 昭和62年改修前の玄関付近、大広間、客室、会席御膳の写真】

 

 “花のいえ”は、客室21室と小規模な施設で豪華な設備は備えておりませんが、京都嵐山という風光明媚な地にあって広い庭園に囲まれて、旬の食材を生かした京料理とともに静かにゆったりとおくつろぎいただける施設だと自負いたしております。「いえに帰ったような京のおもてなし」の心を大切に、これからもお客様に愛され、お客様を愛する施設として営業してまいりますので、今後とも引き続きご厚情賜りますよう心からお願い申し上げます。

 

支配人 敬白